浮世絵で見る江戸・日暮里

第6回 尾久の原 桜草

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:荒川なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

「紅白の名物」カムバック!

あれ? 今回の浮世絵(写真左)には色がついてないのね。


これは挿絵だからね。浮世絵ではない。もっとも、墨摺絵といって、色の無い浮世絵もあるんだ。この絵の原典は『江戸名所花暦』といって、文政10年(1827)刊行の行楽案内だ。

今で言うと『るるぶ』とか『まっぷる』みたいなもの?


当時は写真がないから長谷川雪旦の見事な挿絵を入れてあるし、正確な地図も描けないから詳しい道順を書いてある。土地の由来や解説なんかも流麗な文章で書いてあって、なかなかのものだよ。

でも、色がついてないと、花って言われても何の花だかわからないわね。

文句を言うなら江戸時代の版元に言ってくれよ。右上にちゃんと「尾久(おぐ)の原 桜草」って書いてあるだろ。

桜草かぁ。じゃあ、季節は春ね。だからみんなでピクニックしてるんだ。ところで蔵三さん、今“おぐ”って言わなかった?

言いましたよ。“おぐ”って。


それって“おく”じゃないの? 駅名は“おく”でしょ。駅前の公衆トイレだって“OKU”の形になってるわよ。

トイレの形はどうあれ、地名としては“おぐ”が正しい。駅名に関しては、荒川の広報には「明治時代に鉄道省が駅名を決める際、“おぐ”は訛りだと思い、“おく”にしてしまった」と書かれている。しかし、都営バスの「尾久駅前」は“おぐえきまえ”と読むからややこしい。

間違いを直さないで今まで来たっていうのが信じられないわね。


江東区の砂町のように、砂村新左衛門が開拓した「砂村新田」が由来となった「砂村」という地名を、村を町にすればいいと勘違いした役人が、本来「砂村町」とすべきところを「砂町」にしてしまった例もあるからね。

勘違いで地名が変わるなんて、お役所って結構いいがげんなのね。


一度決めたら、間違っていても修正しないから「お役所仕事」と言うんだよ。まぁ、それはさておき、尾久という地名はかなり古い。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』には「犬食」という表記が出てくる。これは『大食』と書くべき所を間違えたということらしい。

じゃあ、昔は『尾久』じゃなくて『大食』だったんだ。なんだかギャル曽根みたい。

江戸時代にはすでに『尾久』という表記になっていて、今の西尾久が「上尾久」、東尾久が「下尾久」、加えて北区堀船が船方と呼ばれていた。この3つの村の総称が『尾久』と考えればいい。

絵のタイトルが『尾久の原』っていうことは、描かれているのは今の『尾久の原公園』の辺り?

確証はないけど、統廃合になった旧尾竹橋中学の跡地という説が有力だね。

あ〜、今マンションが建っているところね。


尾久は江戸庶民には桜草の名所として有名だった。川に舟が見えるだろ。あれは白魚漁の舟だ。明治の始めぐらいまでは、隅田川で白魚が獲れたんだ。春になると、産卵のために海から大量に遡上してくる。それを四手網で一気にすくい上げる。

白魚って、活きてるのを生で食べるじゃない? あれって気持ち悪くない?

それは白魚(しらうお)じゃなくて素魚(しろうお)だよ。ハゼ科の魚だ。死ぬと極端に味が落ちるから、ポン酢に入れて「おどり食い」を楽しむわけ。もっとも、あれは食べた瞬間、口の中でも元気に踊っているから、確かに気持ち悪いと思う人もいるだろうね。

そうかぁ、あれじゃなくて、お寿司屋さんで軍艦巻きになって出てくるのが白魚よね。

「大橋の白魚」なんて呼ばれて江戸名物のひとつだった。名前の通り千住大橋の辺りまで登ってきたらしいけど、白魚は透けて見える脳髄が葵の御紋に似ているということで将軍家に献上されるから、佃の漁師以外は獲ってはいけなかったらしい。

へぇ〜、違う意味で「高級魚」だったのね。


しかし、遡上の時期には大量に獲れたからね。当時、江戸っ子が舟遊びでここにやってきて、白魚と桜草をお土産に持ち帰って「紅白」の風流を楽しんだらしいから、どこまで漁業権が厳しく守られていたかは疑問だな。

でも、そんな綺麗な風景だったのに、今は残っていないのね。


夏目漱石の『虞美人草』に「荒川から茅野へ行って桜草を取って王子へ回って汽車で帰ってくる」と書かれているから、明治時代にはまだ残っていたようだけど、明治の後期には園芸業者の乱獲が始まり、大正3年に岩淵水門が完成すると、洪水による自然増土がなくなって、桜草の生育環境が変わってしまった。尾久の都市化と共に絶滅したのは昭和初期のようだね。植物学者の牧野富太郎が「桜草江戸の名所も滅びたり」なんて句を残している。

残念ねぇ。もう復活しないのかな?



さすがに白魚漁は無理だと思うけど、桜草は地元のグループが復活に向けて活動しているみたいだよ。対岸の浮間では桜草圃場を作って復活させたからね。尾久の原公園もまだ整備拡張してるから、これから期待していいんじゃないかな。

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